こころの法話集046
お話046
汗流し道求める普請
福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾
家が建った
「普請」という言葉がございます。普は普通の普、請は請求書の請という字を書き、「ふしん」と読みます。若いお方は、もうあまり使っておられないかもしれませんが、昔はよく日常語として使われたものです。
家を立て替えたりする時も「普請を始めたけど、ぞうよがかかってどうもならんわ」、「きょうは道普請であそこは通行止めやで」などと使います。しかし今思うと、この道普請という言葉のニュアンスは、どうも今のような、ブルドーザーやショベルカー、ユンボなどのうなりや響きのある大げさなことではなく、何人かの人がつるはしや、スコップを振り上げて道を直している風景の方が似合うような言葉だといえましょう。
ところで、この「普請」という言葉は、中国の唐の時代から、専ら禅宗で使われた言葉だそうです。禅宗で、多くの人々を集めて作業につかせることを「普請」と言ったのが始まりだそうです。
「普請」の元の言葉はちょっと難しいですが、「普請衆力」すなわち「あまねく衆の力を請す」ということで、「みなさん、ひとつよろしく手伝って下さい」ということでしょうか。禅でいわれる「一日作(な)さざれば一日食せず」という古来の戒めにのっとって、清掃作業やまき割りをすることが「普請」の起こりになっている。
そして、その労働により、汗を流すことによって自然に道を求める心を感じとって行ったのです。それがずっと後になって、日本では家の建築に使われたのでありましょう。
みんなの力を借りて家が出来上がるということですが、どうでしょう。このごろでは、「普請」の意味がうすれ、お金で買うものだという感じが強いような気がいたします。そこには、「おかげさまでありがとう」が消えていくのではないでしょうか。