こころの法話集045
お話045
温かみある言葉遣い
福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾
「行きて帰る所」
言葉遣いとはよく味わって考えてみると面白いものです。例えば、お嫁さんが里帰りをするとき、お嫁さんは「では実家へ行って来ます」といって家を出て、実家へ着くと「お母さん、帰りました」とあいさつします。
また、実家をいとまごいする時は、「じゃお母さん、帰ります」と申します。そして、婚家へ着くと「ただ今、帰りました」と申します。言葉は面白いものです。「行って来ます」といって帰り着き、「帰ります」といって、また帰り着くのです。
こう並べて考えてみると変な感じはいたしますが、お嫁に行ったものなら、だれでもするところのありふれたしぐさでありましょう。これは、お互いに自分自身の昔負うている義理や責任を果たすためには、あたりまえのことだといえばそれまでですが、その中身には、なんともいえぬ味わいがあるのではないでしょうか。
行くといっては帰り、帰るといっては帰る。温かさいっぱいの「まこと」があるような気がいたします。とかく、虚偽や、ちぐはぐなことの多いこの世の中で、理屈ではない姿が、この言葉のやりとりの中にひそんでいるような気がするのです。
ふるさとへ行くということは、親里へ行くということは、親を思い、親から思われて、帰らしめられる姿といえましょう。
また、一方では、気になるわが家へ、やはり帰らないではいられないという気持ちは、やはり目に見えない力の働きでありましょう。帰り着けば、帰り着いたで、やっと帰って来ましたと落ちつけるのであります。
仏教に「倶依一処」という言葉があります。「みんないっしょになりましょうね」ということです。まだしっかりとは味わえませんが、今は亡き懐かしい父母との出会いが味わわれるような気がいたします。