こころの法話集052
お話052
心の宝に目向けよう
福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾
TVコマーシャルを見て
私たちはいつも「あれが欲しいなあ」「あれが手に入ればいいなあ」とか、いつも欲しい欲しいと思っています。テレビのコマーシャルを見ていても、いつもそんな気持ちになります。皆さんはどうですか。
また、こうも考えます。もし今、私にお金をやろうという人がありますれば、いつでも喜んでもらいます。それも欲の皮が突っ張っていますので、多ければ多いほどいいなあと思うでしょう。
そんな私であるのに、もしここに心の宝を恵もうとしてくれても、大抵知らん顔をして、一向にそれを受け入れようとはしないのではないでしょうか。これは一体どうした事でしょう。
物はいくらでも、欲にまかせて受け入れる、この私ですが、自然界からの心の呼びかけと申しましょうか、心の糧となる宝の恵みには、なぜか、心の門を閉ざして、サザエのようにかたくなに耳を借そうとしないのです。
お経の文に、「仏法を喜ぶことは難しい」とあります。これはこの私の姿をあまりにもはっきりと言い表しているので、本当に驚きのみでございます。
仏法は、私「そのもの」を良く知って説かれていることが知られます。足りない、不十分だと心に思う時、すでに私は仏のまなざしに見つめられているのだと気付くべきでしょう。
「仏法を喜ばない私」と気付くべきなのです。その時に「足りない」が、「足りないどころか足り過ぎている」との事に気付くのではないでしょうか。そうなれば、テレビのコマーシャルも楽しく眺められるような気がいたします。