こころの法話集064
お話064
己しか見えぬ暗い影
福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾
迷いの側面
犬や猫でもたくさん集まると、かみついたり、飛びかかったりして結構争うものでございます。まして、喜怒哀楽の情を持った人間同士、うまくいっている時は良いのですが、一つ間違うと争いも起こるというものです。一分のすきもない夫婦、親子、兄弟、友達、恋人といえども、決して油断はなりません。
人間の住む所、寄り合う所、そこには、常に危機と絶望がつきまとっているからでございます。いつまでも信じ合いたいのは、だれもの願いでございますが、陰口一つが聞こえても、ムクムクと頭をもたげる不信と憎しみ、「自分が」「自分が」という心の強い私たち人間の愛情には、いつも暗い影が尾を引いているのでございます。
「私を信じてください」という言葉は美しいものではございますが、何か、白々しい、悲しい響きがこもっているような気がいたします。
信じて疑い、愛して憎しみに変わってゆく私たち人間の姿に思いをめぐらします時、本当に業苦という仏法のおさとしの言葉が、しみじみ味わわされることでございます。
生活は表向き、楽しそうに見える毎日ではございますが、実は常に揺れ動き、明日の見通しは、なんにもついていないのです。自分の事しか考えないので、他人の事を見えない人間、自分の事は分かったつもりでいても、他人の事は分かろうとしない人。他人を責めながら、自分だけを弁護する人。そこからも、ここからも、暗い影が忍び寄って来るようでございます。み仏に私たちの迷いの深さを測って、頂きたいものでございます。