こころの法話集083
お話083
み仏のお慈悲を知る
清水町島寺・浄福寺住職 藤井信哲
念仏する心が起こる④
御信心をいただいての御恩報謝のお念仏といわれると、末信の人はお念仏がしにくくなってしまいます。それでも雷が鳴ったときには恐怖念仏でもでてきます。たしかにお念仏をとなえる私の力で救われるのではありませんが、私の心にお念仏がいつか入っていたからです。知らないことはいえないのですから。
お寺にお詣(まい)りしていて、末信の人が多いときでも、共々にみ仏のお慈悲をたたえてお念仏しています。つれ念仏であっても声はでてきます。「信心のひとにおとらじと、疑心自力の行者も如来大悲の恩を知り、称名念仏はげむべし」(正像末和賛)とあります。
如来のご恩に気付かせていただいて、お念仏させていただきたいものです。
心の中に喜びがあれば、一人でいてもお念仏はとなえられていくものです。住生を信じてお念仏申そうという心が起こるのであります。その心は自分が起こすものでなく、如来のおはたらきにより、起こるものです。阿弥陀さまの方からたのむ心も、となえ心もみなお与え下さいます。
「ただよく常に如来の号(みな)をとなえて、まさに大悲弘誓の恩を報ずべし」(正信偈)とあり、阿弥陀さまの御本願をいつも思うとき、念仏を申さずにおれない私に育てられていきます。ただということは、これしかないということです。