こころの法話集133
お話133
本音に感動と連繋が
福井市上莇生田町・安楽寺住職 佐々木俊雄
真実
昨冬、誘われるままに靖国神社に参拝しましたが、社頭に、特攻隊出撃者が両親にあてた遺言書がはってありました。そこには国家のために生命をささげることは、男児の本懐と述べ、一方、両親の養育に対して十分の孝養を尽くせなかったことのわびが立派に書かれていました。
前途有為の青年に、このように立派な、しかし悲壮な遺書を書かさせねばならなかったあのころを思い、悔しさいっぱいでありましたが、そのとき私はふと、澤地久枝氏の「妻たちの二・二六事件」の一節を思い浮かべました。
事敗れて死刑の判決をうけた青年将校は、妻やその家族を前にして、「男として、やるべきことをやっただけ」と笑みすら浮かべている。妻は夫を遠くに感ずるのである。そこで日を改めてもう一度彼女は一人で面会に行った。その時は夫は、「お前のことを思うと、おれ、死にきれねえ…」と述懐するくだりである。
このとき、妻は夫との短かった結婚生活を一日一日数えあげ、夫をこの上なくいとおしく思うのである。この人間の「本音」が、私に強烈な印象を与えていたのであろうか。

死を覚悟して突撃していく青年の遺言を批判する気持ちはもうとうなく、また持ってはならないが、出撃する青年に人間としての共感を味わいたかったからであったと思う。
人間の本音に触れるとき、そこには強烈な感動と連繋(けい)を受けるものでありますが、親鸞聖人の一々が、まことに人間的で、しかも、真剣な求道の姿勢が真実の道、生き方として、私を結びつけるのではないのでしょうか。