こころの法話集182
お話182
仏の光で悪に気づく
坂井町御油田・演仙寺前住職 多田淳政
わたし自身
他人のことはよく見えますが、自分のことはなかなかわからないものです。そして、自分の短所には少しも気づかないで、自分の長所ばかりを鼻にかけて、自分は立派な人間だと思い上がっているのが、私たちではないでしょうか。
きたないたとえですが、「目くそ鼻くそを笑う」ということわざがありますね。自分がきたない心を持ちながら、他人のことばかり批判することは、まことに恥ずかしいことです。もしそういう自分の欠点に気づいて、「あさまし自分だなあ」と思うことが出来たら、それこそ素晴らしいことです。仏教で悪人というのは、そういう自己の根本悪に気づいたことを言うのでありましょう。
しかし、闇(やみ)は自分の闇を見ることが出来ないように、自分の悪に気づくことはなかなか出来ません。いや、むしろ不可能といってよいでしょう。そして、闇は光がさすことによって、闇であったことに気づくように、私自身の悪に気づくのは、仏さまのお光に照らされることによって、初めて出来るのです。

従って、「はずかしい自分だな」と気づくことは、同時に、「お照らしをいただいていて、ありがたいなあ」という喜びの心と一つであるわけでありましょう。
妙好人の才市さんはこう言っています。
あさまし あさまし
よるひるなしの あさまし あさまし
ありがたい ありがたい
よるひるなしの ありがたい ありがたいなむあみだぶつ なむあみだぶつ