こころの法話集188
お話188
仏さまの慈悲のまま
坂井町御油田・演仙寺前住職 多田淳政
よろこび
私たちの人生は、つらいこと、悲しいことで満ち満ちています。その中で、どうしたら楽しい喜びの人生を送れるだろうかということが、私たちみんなの願いでありましょう。しかし、自分の思うような喜びずくめの心にはなれないのが、人生の現実であります。
しかし、考えてみますと、人間の喜び心などは、あまり当てにはなりませんね。自分の都合のよい時は喜ぶが、都合が悪くなると、すぐ怒ったり恨んだりします。仏教では、喜怒哀楽といって、怒ったり悲しんだりすることと同じように、喜ぶ心もまた煩悩の一つであると言われています。
従って、喜ばれたら、ありがたいと思われたら、仏法がいただかれたと思うのは、まだ自分の心を当てにしているのでないでしょうか。
妙好人の才市さんは
よろこびを
あてにするでなし
よろこびは
消えてにげるぞ
といっています。

喜んだり悲しんだり、怒ったり恨んだり、毎日毎日、煩悩の起こしどおしの日暮らしが、私のしんようであります。しかし、そのしんようのまんま、仏さまのお慈悲に抱きとられ、生かされている私であったと気付かされた時、それが本当のしみじみとした喜びでありましょう。
妙好人の才市さんはこうも言っています。
さいち しあわせ
あんじ わずらうこともなし
念仏となえることもなし
あなたのおじひにすくわれて
ごおんうれしや なむあみだぶつ
よくよくお味わいをさせていただきたいものです。