こころの法話集191
お話191
満ちても足りぬ日々
坂井町下兵庫・丸岡高教諭 森瀬高明
欲望の丘に立って
高い消費生活と豊かな物質文明の中で、私たちは生活をしています。しかし、それも慣れてしまうと、当たり前になってしまいます。年配の方は四十年前の事を覚えてらっしゃるでしょう。一足の地下足袋を軍需会社関係の人に頼んで必死になって手に入れたあのころ。白米のご飯を腹いっぱい食べた、たったそれだけでうれしくて無性に泣けてきたことなど。
あのころの人々は衣食住にささやかな願いをかけてきました。「せめて木綿のシャツ一枚がほしい」と真剣に思ったものです。私たちはそのような時代をたしかに体験してきました。そのころのささやかな願いは、必要以上に達成されている現在、私たちは果たして満ち足りた思いで暮らしているでしょうか。残念ながら大半の人は不平不満の毎日を送っているようです。
お釈迦様は、人間が生きていく苦しみが八つあって、その中の一つに「求めても欲しくなる苦しみ」即ち「求不得苦」というものがあるとお諭しになりました。私たちの欲望は、貧困と富裕とに関係なく、無限にエスカレートしていくもののようです。

その欲望の前には、名誉も知性もはかなくついえ去ります。「財産のある者はあるために悩み、財産のない者はないために悩む」と無量寿経に説かれています。「よくよく煩悩の興盛に候いしか」とおっしゃった歎異鈔のお言葉を十分味わうべきでありましょう。