こころの法話集194
お話194
数珠は称名の計算機
清水町島寺・浄福寺住職 藤井信哲
仏を手づかみの不敬
握り飯は手づかみでたべますが、非常食だからです。通常は食事の際はおはしを用います。子供が手づかみすると、行儀が悪いとしかられます。数珠をもたない人を本願寺の蓮如上人は「数珠の一連をもつ人なし。さるほどに仏を手づかみにこそされたり」と不敬を戒めておられます。
仏を信ずる私(機)と、私をお救い下さる仏さまのお力(法)が一つである(機法一体)ことをあらわす合掌を数珠で縛られた形です。自力でない一心帰命のこころをあらわしたものです。お念仏は煩悩を消滅する功徳があるとして、称名する度に珠を数える計算機のようなものでありました。珠の数は人間の煩悩にちなんで百八が普通標準で、小さいものは半数の五四や、またその半数の二七が一般的です。

浄土真宗では、数珠を擦り鳴らしたり数とりに用いません。数珠を擦るのは他宗で読経を中止するときの合図などであったようです。数珠がないと仏さまを礼拝する気持ちになれないようにありたいものです。なお一般には「数珠」の字を用いますが、蓮如上人は御文章で「珠数」とお書きになっています。