こころの法話集230
お話230
自分がつくる火の車
清水町島寺・浄福寺住職 藤井信哲
「火の車つくる大工はなけれども己がつくりて己が乗りゆく」-火の車とは何なのか。台所はまるで火の車で-という会社の経理担当の重役さんでも火の車の絵をみたことがないという方が多くなりました。
昔の地獄絵では燃えている人力車のような火の車を鬼が引っぱっており、車の上では亡者が熱さに苦しみ叫んでいる絵です。
今なら燃える自動車に乗ったまま走っているようなものでしょうか。ともかく苦しみの表現ですが、そのタネは自分がつくっているわけで、自分がつくった火の車ということです。これが因果の法則です。自分がまいたタネは自分が刈らねばなりません。自業自得です。

それなのに自分が悪いにもかかわらず、都合が悪くなると神も仏もないものかと救いを求めます。しかし、因果の法則はお釈迦さまもどうにもなりません。自業自得は悪業のときに用いられる言葉のようにも聞こえますが、むろん善業もあり、よい結果を招きます。善業の最たるものがお念仏です。「本願名号正定業」と正信偈にある通りお名号には私の往生がきまるお働きがあるのです。