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こころの法話集231

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お話231

「明日あり」と思うな

清水町島寺・浄福寺住職 藤井信哲

「あすありと思う心のあだざくら、夜半にあらしの吹かぬものかは」-親鸞聖人は幼名松若といわれて、九歳のとき、自分の意志で出家されたが、師の青蓮院の慈円大僧正が「もう二、三年たってからでも遅くあるまい」と言われたので、口ずさまれたお歌です。
老少不定でいつ命を終えるかも分からないことを意味しています。「いまは忙しいから、そのうちお寺に参るつもり…」と言ってお聴聞には一向に顔をみせない人がいるが、いつ無常の風に吹かれて命を散らすやもしれないのです。

お話231

現に自動車事故死では若い人がめだって多い。蓮如上人は世間の用事がすんでから仏法を聴くのではなく、用事をやめて聴くべきである。仏法には明日ということはないのである-とお諭しになっています。そのうち、そのうちといううちに、病院に入り墓場へいくというのでは、お聴聞ができません。
大学まで行くと学校生活は十六年間になります。仏法はどれだけ聞いているでしょうか。何十年も聞いているという人もありますが、皆さんは一年に何回お説教をお聴きになることか。「どんなに不信心のものでも聴聞を心がけたらご信心をいただける」の蓮如上人のお言葉があります。

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