こころの法話集236
お話236
自然や他力のお念仏
清水町島寺・浄福寺住職 藤井信哲
「南無阿弥陀、なむあみだ仏と喜ぶも、南無阿弥陀仏のお働きなり」
いわしの頭も信心といいますが自分が固めた信心はこわれてしまいます。何ごともダメになると信心が足らなかったからだとか、信心してみたが効き目がなかったなどといいます。しかし阿弥陀さまから賜った他力のご信心は金剛心であり、凡夫の自力の信心ではありません。如来より賜るとはどういうことなのでしょうか。信心はまことの心を読み仏心である。仏心を凡夫にさずけられるときに信心といいます。仏心とは大慈悲心(観無量寿経にでています)であり、如来のお慈悲が私に至り届いたとき、浄土真宗ではご信心をいただくといいます。何かものをもらうという場合とはちがいます。よく親心が身にしむといわれますが、それは親の苦労-ご恩が理解されたことであります。如来はいろいろの方法でもって私の信心を起こさしめられます。念仏をとなえようという心がおのずから起こってくるのであります。自分の努力でとなえていたお念仏が、やがてとなえずにおれなくなるのであります。広大な仏恩を思うとき、お念仏をとなえずにおれませんが、それが自然(じねん)であり、他力であると親鸞聖人がお示しになっています。