こころの法話集239
お話239
善い行いに善い報い
清水町島寺・浄福寺住職 藤井信哲
無宗教だといって威張る人がいます。欧米では無宗教といえば無定見と同じで軽べつされるといいます。真理を理解しないことを仏教では愚痴といいます。愚痴についてお釈迦さまは次のようにお教えになっています。
「善い行いには善い報いがあり、仏道を修めれば悟りがえられるということを信ぜず、人が死ねば次の世に生まれかわり、恵みを施せば福が得られるということを信ぜず、善悪因果の道理も信じないで、みなそんなことはないと思い、教えを認めようとしない。それどころか因果を信じないことを見識があると思っている。よいこと悪いこと、わざわい、幸福を自分で招いておきながら、だれ一人としてそれを不審と思うものさえいない。また世の無常をも悟らない。生死無常の教えを信ずるものは非常に少ない。うろうろと一生を過ごし、命終わるときに道を求めてもどうにもできない」(無量寿経下春)

以上で-因果を信ぜず-子孫代々誤った考え方を受け継ぎ-生死流転限りなく世の中は無常である-仏の教法を信ぜず-親子、兄弟、夫婦の恩愛が悪をつくって苦しみを受ける-ことになります。