こころの法話集248
お話248
人生の帰着を教示
福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾
迷える者は道を問わない
私たちは毎日、日を追って生活を送っておりますが、この人生航路の行き先はどうなっているのでしょうか。また、それに到達するための確かな地図を持っていると言えるのでしょうか。こんな言葉があります。「迷えるものは道を問わない」。常識的に言えば、迷っているから、道を尋ねるのだということでしょう。
ところが、道を開くという時には、大体、その行き先は、はっきりしていなければなりません。どの道を行ったら良いのかを尋ねるのです。また、確かこの道だと思うが、間違っていないだろうかと、確かめる場合に道を聞くわけです。
ところが、「さーて、私は一体どこへ行くんだったかなあ!」。と言うんでは、道を尋ねるにも尋ねようがないわけです。道を尋ねる気持ちも起こらず、その尋ね方も、わからない状態。それが迷いの境涯ということになるのではないでしょうか。
ですから、迷いの境涯にいることを気づかないでいる姿を「迷えるものは道を問わない」と教えられていると、味わうべきであります。
仏の教えは、人生のより所と、人生の帰り着く所をはっきりさせてもらう教えだということが出来ます。