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こころの法話集252

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お話252

花は耐える姿の象徴

清水町島寺・浄福寺住職 藤井信哲

「立てば芍薬(シャクヤク)、座れば牡丹(ボタン)、歩く姿は百合(ユリ)の花」古来美人の形容詞で、花はいいものです。「死ぬならば春三月の花のころ」の考え方もあります。生きているときは何かと花束プレゼント、死ねば供花(くか)で飾られます。
阿弥陀さまは蓮(ハス)の花(蓮台=れんだい)の上のお立ち姿です。お浄土の絵には蓮の花びらが降り、池の中には蓮の花が咲きそろっています。(阿弥陀経)。泥中からでて咲く蓮の花は清浄をあらわしています。「この泥があればこそ咲け蓮の花」は煩悩に苦しむ罪悪の凡夫である私であればこそ、阿弥陀さまのお慈悲のおめあてであったとうなずけます。信心の人を白い蓮華(分陀利華“ふんだりけ)とたとえられます(正信偈)。

お話252

仏壇のお花からいろいろのことが味わえます。根を切られているのでいずれ枯れますが、必ず死する命でも、精いっぱいに現在を美しく生きていることを示し、美しいものも衰える無常のことも考えられます。花をみているとほほ笑んでいる感じです。「花のいのちは短くて苦しきことのみ多かりき」でも、耐え忍んで生きよと教えます。菩薩(ぼさつ)の六度の修行のうちの忍辱(にんにく)の行を象徴します。
美しくやさしい花のすがたから和の心を思い、み仏のお慈悲がよろこばれます。仏壇の花は念仏者の五つの正しい行いの賛嘆(さんだん)供養のうちであり、六根供養のうちの、み仏の御眼の供養になります。

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