こころの法話集277
お話277
飽食の今恩恵に感謝
春江町千歩寺・順教寺前住職 中臣徳恵
現代日本はまさに物足りて、みぞうの飽食時代となりました。戦時そして震災時などの物がないために耐えねばならぬころとは、思いもよらぬ、物に飽き足り、飲食も足りすぎて捨てることにかかり、しかも喜びもない。
仏説には「有田憂田」「無田憂田」(田あればあって、無くてもまた心配の種)何ごとも、あっても、無くとも、心の憂い種であるとあります。いまや八十歳代の命長き長寿国となり、病んでもこれを治療できる時代、これら科学技術の伸長によって、すべてが人間を幸福にする方法が現れるのであります。
ところが悩み、憂いは、心の不安はやみません。精神が物質化した時代、金さえあれば、物さえ充実したらと次々と心のにごりはつのり、いわゆる貪慾(どんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴はますます甚だしく、世相の変動に迷わされていよいよ心の平安を失い、あるいは自殺または他を傷つけ、ついには滅びゆく過程のようなことになりつつあると言わねばなりません。
そこで、ここに三つの心のあり方を教えられるのです。一つは、この飽食時代になってきた多くの力、恩恵に対する感動を忘れてはならぬ。天地自然はもちろん多くの苦心努力の成果が現れてきたことを感謝しなくてはなりません。二は“過ぎたるは及ばざるが如し”自己規制をして足ることを知りてわが私欲を抑え、次々募る煩悩を抑えねばならぬ。三は、ものを活(い)かす工夫が大切、わが私欲に費やさず、「有無相通ず」の心をもって何とか工夫して、すべてのものをもう一度活かすようにありたい。
これらは言いやすくて行い難い。周辺の現実に静かに心のあり方を、永遠の真実を教えられた先覚者の言葉を行跡を学んでゆきたいものであります。人間性の回復、心の健康への一日一日でありたいものであります。