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こころの法話集307

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お話307

坂井町御油田・演仙寺前住職 多田淳政

自分の人生を大切に

私たちにとって一番大切なのは、私自身の人生ですね。
東北地方のある町に、文学者の山本有三先生の碑があって、それに、こんな言葉が書かれているそうですね。「たった一人しかない自分を、たった一度しかない人生を、本当に生かさなかったら、人間に生まれてきたかいが無いじゃないか」
全くその通りですね。この一度しかない、大切な大切な自分の人生を、無駄に終わらせてしまっては、本当に残念なことだと思います。
では、この大切な人生を本当に生かすとは、どういうことでしょうか。それは、うそやら偽りに基づいた人生でなく、真実、まことに基づいた人生を送ることでありましょう。
では、またその事実とはどういうことでしょうか。親鸞聖人の「歎異鈔」の中に「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのことみなもてそらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」というお言葉があります。

お話307

全くその通りですね。この世の中のことは何一つ当てになりません。その当てにならないことを当てにして、当てがはずれると、自分の思うようにならないと、腹を立てたり愚痴をこぼして、悩み苦しむのがこの私のすがたであります。
そういう人生でなくて、如来のまことであるお念仏に基づいた人生を送らせていただきたいものであります。

「あさましさ」の自覚

私たちはみんな自分こそ立派な人間であり、立派な国民であり立派な家庭人であると思っています。しかし、果てしてそうでしょうか。
新聞のアンケートによる報道を見ますと、今の大抵の人々は、自分の人生の一番の目的は「自分の家庭が豊かであり、幸せであることだ」と言っていると伝えています。自分さえよければよい、自分の家庭さえ幸せであればよい、そういうのが実は私たちのホンネではないでしょうか。
しかし、現実はなかなかそう思うようにはゆきませんね。健康であったはずの自分が、つい思わぬ病気になったり、末長かれと願っていた夫婦がさ細なことで別れねばならなくなったり、当てにしていた自分の子供が交通事故で先立っていったり、世の中には災難はたえません。全く火宅無常の世界ですね。
そうなると、今度は自分のホンネが顔を出してきて、世の中を恨んだり、他人を憎んだりして、自ら悩み苦しむのが常でありましょう。それが煩悩具足の凡夫のあさましい私のすがたでありましょう。
妙好人の才市さんは次のように言っています。
あさまし あさまし あさましいのも
うそのかわよの うそのかわよの うそのかわうそのかわ
うそのかわ あさまし あさまし
しかし、これは単なる嘆きの言葉ではありません。こういう私のホンネにめざめることこそ、真実に基づいた人生であり、そこにまた喜びがいただかれるのでありましょう。それで才市さんはこうも言っています。
なむあみだぶわ 月日のごとく 朝日のごとく
こころほやほや 身もほやほや
ここで一服しましょうや
おもしろいな
なむあみだぶつ なむあみだぶつ

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