こころの法話集327
法話327
バック・ミラー
大野市伏石・常興寺住職 巌教也
あるお寺の掲示板で、私はこんな言葉に出合いました。それは
「自動車は、前に進むためにあるものである。しかしよく見ると、後ろを見る目をもっている。宗教心のない人は、バック・ミラーのない自動車と同じである」と。
この言葉を読んだ私は「ものの見方」とともに「ものの考え方」についても、もう一度、自覚と反省をしなければならないように思いました。なぜならこの私自身が、あの自動車のように、はたして心のバック・ミラーをもっているかどうかと、確認しなければならなかったからであります。
たとえば仏さまの目は「閉目開目」とか、あるいは「半眼」という言葉で、お経の中に出てまいりますが、その仏さまの目が半分は閉ざされ、半分は開かれているというその意味は、外のものを見る目と、心の内側を見る目との、バランスをいつも保っていらっしゃることを、身をもって私たち人間に、教えていて下さるからでありました。
「人間は目を二つもつが、舌は一つである。ということは、しゃべるより二倍も、視察するためである」といったのは、イギリスの作家コルトンでありました。