こころの法話集353
法話353
精いっぱい生きる(むしばまれる樹木たち)
福井市松本三丁目・興宗寺住職・聖徳幼稚園長 北條紘文
毛虫のいる庭
こんにちは。こんな立場でお話しする私でもないのですが…。
一昨年の秋のことです。私のお寺の桜の木に毛虫がいっぱいつきまして、またたくまに丸裸にしてしまいました。気をつけて見ていると、方々でそんな光景に出合いました。
私のお寺のお同行で、大変行き届いた生き方をしていられる一人の年配の未亡人がおられます。絵をかかれたり、自家菜園をつくられたり、いろいろな種類の果実酒をつくっておられ、年に一度おじゃますると、そのうちの一種を賞味させて下さるので、とても楽しみなお宅です。このお宅は、虫の方は大丈夫かなと思って、秋まわりでおじゃましますと、玄関先のササ竹が、むしばまれた姿で私を出迎えてくれました。
少しも不自然ではありませんでした。私はハッと気付かされる思いでした。あまりに毛虫が猛威を振るったので、私は、虫のいない庭を思い描くことばかりにとらわれておりました。虫の全くいない庭こそ、それこそ不自然かも知れませんね。
私たちは、いつも幸せを願っています。そして、私たちの描く幸せとは、いろいろな欲望が満足することです。しかし、現実の人生は、そうはいきませんね。自分の健康も若さも、いつまでも続くものではない。人と人との折り合いの中で、お互いに我慢せねばならぬことも起きてくる。自我を抱えた私たちには、思えば厳しい試練の道ですね。
しかし、雪にも虫にも傷つけられながらも、精いっぱいに生きる樹木のような、そういう人間でありたいものですね。