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こころの法話集354

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法話354

「浄土」で今も説法(声聞き念仏の意味悟る)

鯖江市中戸口町・明厳寺住職 光山善龍

仏さま

仏教ではお互いの人間以外に、仏と申す尊いお方がましますと申すことを教えるのであって、この仏と申す方を取り除いては仏教は成り立ちません。
ところでこの仏と申す方は実際どこにましますのか。浄土真宗にはこの世界の外に安楽浄土と申す世界があって、そこに阿弥陀如来と申す仏がましまして今も現に説法されていると申すのであります。
阿弥陀経の中に”従是西方過十万億仏土有世界名日極楽其土有仏号阿弥陀今現在説法”と明白に説明があります限り信ずればよいのでありますが、しかし人間は疑い深いもので、そうそう承知することが出来ないものであります。
水中の魚の境界は空中をとぶ鳥の境界では知ることが出来ない。人間の歓楽は他の動物の歓楽と同一にながめることは出来ない。ウグイスのさえずる声を人間が聞いてよろこんでいるけれど、実はウグイス自身にとっては悲しくて泣いている声であるかもわからん。
迷いと、悟り、仏と凡夫の間をば人間同士の定規にあてはめて、仏を知ろうと思うことは間違った考えであります。ともに境界が違います。お念仏申される人にこそ仏様は拝まれる幸せがあります。
親鸞聖人は”南無阿弥陀仏”は仏様のお名まえであるといわれました。そうしてまた仏様のよび声であるともいわれました。煩悩にあけくれている私に、仏様はつきまとうて絶えずよびかけて下さっている。そのよび声が私どもに聞こえたとき、おのずからお念仏の意味が知られるのであります。

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