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こころの法話集355

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法話355

普遍の”徳”を知れ(盲者の”象”評に陥るな)

鯖江市中戸口町・明厳寺住職 光山善龍

人道と仏道

盲者が象の体をなでて、それぞれに心の中に象の形を想像したという話がある。足をさぐった者は柱ごときもの、尾を握った者はほうきのごときもの、耳をなでた者は大きな箕(み)のごときものであったという。現代の人々の中に真実の仏教の味のわからぬ人々は、この盲者が象を評したようなことを申しておりはしまいかと思わるることがままあります。
仏教を批評して大略次の三通りに分かれると思う。すなわち第一類の人々は地獄とか極楽、あるいは仏とかいうようなもののあろうはずはない。人間はそんなことにとん着なく何何でもこの世一代を気楽にくらしさえすればよいと、仏教無用論を唱える愚かなる考え。
次の第二類の人々は、仏教は世の中の人の気を和らげるための教えで、言わば人道の教えと変わらぬものであると考えている人。第三類の人々は、世の中は有為転変の頼み少なきところなれば後生が大事、後生に安心さえ出来ればよいと、仏法と世間法とを全く別物にして未来成仏に重きをおく考えである。
以上あたかも先の盲者が象は柱のごときものあるいはほうきのごときもの、箕のごときものと申たのと同様にして、決して正当なる判断とは申されませぬ。人道と仏道とは、ある点には同一の作用をなすところはあるも、その立場は全く相異なっておるのであります。
すなわち人道は人と人との間柄を円満に治むることを教えるもの。家庭にあっては親子兄弟夫婦の間柄、社会にあっては人間相互の本務を教えるもので、仏教は私どもと仏との間柄を教えなおその上、仏の感化をこうむったる上は人道をめでたく守るべしと教えるものであります。
人道は人の一代に限られたるもの、また時代の変遷に従って人道は変わることがある。仏道は相手が永久に変わらぬ仏。親鸞聖人は仏道の徳を賛嘆して”無明長夜の灯炬(く)なり智眼くらしとかなしむな生死大海の船筏たり罪障重しとなげかざれ”と、未来成仏の彼岸(ひがん)にまで送り届けて下さるが仏道である。

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