こころの法話集376
法話376
時を大切に
東京・上正寺住職 佐々木円月
年回法要のおり、よく耳にする会話ですが「おたくのお父さんも亡くなられてもうたちまち何年もおたちになってなあ、まったくおはやいもので」という言葉を使われます。「まったくおはやいもので」という言葉を使うところをみると、自分以外で時は流れ、人ごととしか思わない盲点がひそんでいる気がいたします。
待つ時間は長く、待たない時は短いと申します。信号を待つ時間、人を待つ時間は、いらだつほど長く感じ、それに反して、一月はいってしまい、二月はにげてしまい、三月はさってしまうというように、日々の時のきざみは、驚くほど、はやく短く思います。これが私の一生の中の大事な時間であることを気づかねばなりません。
五十の坂を越して、少年老いやすく、ということばが、身にしみてまいります。二度と戻ってこないこの瞬間との出合い、そして別れを、この機会に真剣に考えてみたいものでございます。
たちまちにすぎて行く無情の限りある人生の上にありがたくして、今会うこと得たり、仏法の前にひざまずき、限りないアミダ如来のご本願に、とうとい今の時を、見いだしていかれた親鸞聖人のお姿に学びたいと存じます。