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こころの法話集392

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法話392

明るい顔、快い言葉(仏様の光明に照らされて)

坂井町下兵庫・丸岡高校教諭 森瀬高明

和顔愛語

心がすさんでいると自らそれが顔に現れるそうです。「悪鬼のような形相」とよく言われます。怖い鬼だから、顔も恐ろしいということなのでしょう。
少年のころに読んだ英語の物語にこんなのがありました。それは若いひとりの画家が「天使」の像を描くために、かわいい赤ん坊をモデルにしました。その絵は素晴らしい作品となりました。おかげで青年は、プロ画家として道が開かれました。彼は念のためにモデルの名を額の裏に記入しておきました。
それから二十年たって、今や画壇の大物となった彼は、ふと「悪魔」を描きたくなって、死刑囚の独房ヘモデルを探しに行きました。刑務所の看守から前科八犯、強盗、殺人罪で刑の執行を待っているその男は、本当に凶悪な顔をしていました。
彼はその男を写生し終わってから、名前を聞きました。無感動に名乗ったその名前こそ、二十年前に「天使」のモデルとなった赤ん坊と同一であったのです。彼は驚いて、母の名も確かめますと、その死刑囚は間違いなく、かつての「天使」その人でありました。
かつての「天使」が今日は「悪魔」になっている。画家は人の世の業縁が底知れぬ泥沼であることを痛感しました。その年の秋は、珍しく、その画家の絵はどこの展覧会場にもなかったそうです。
釈尊は「和顔愛語」とおっしゃいました。つまり、「良い言葉は、温和な表情に宿る」ということです。毎日の日暮らしを、仏様の光明に照らされて歩む私たちですから、毎日が「和顔愛語」でありたいものです。

挿絵

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