こころの法話集433
法話433
苦悩無駄にするな(悲しみから何かをつかめ)
坂井町御油田・演仙寺前住職 多田淳政
別れることの悲しみ
会うは別れのはじめといいます。深い縁によってめぐりあうことの出来た者も、いつかは必ず別れねばなりません。
愛情によって結ばれた新婚早々の夫婦も、不慮の事故によって最愛の相手を失うこともありましょう。またかわいいわが子に先立たれることもありましょう。それは本当に悲しいことであります。
お釈迦様も愛別離苦と言われたように、それは厳しい人生の現実であり、人生そのものの苦悩でありましょう。
泣くもよい、なげくもよい。しかし、その悲しみを無駄に終わらせてはならないと思います。その悲しみの中から、何ものかを見開いてゆくことが大切なのではないでしょうか。
そのためには、その悲しみをご縁として、おみ法を聞かせていただくことです。先立っていった子供がどこで迷っているだろうかとなげき悲しむその中から、実はその子供こそこの私を導いて、おみ法に近づかせて下さったのであり、私の導きの親であり、善知識であったのだと気づかせられる時、悲しみはやがて士号びと感謝の気持ちに転ぜられるでありましょう。
そしてそこにこそ、別れた子供は、あるいは妻や夫は、永遠に私の心の中に生き続けることでありましょう。