こころの法話集440
法話440
確かな生き方頂け(聞法で仏さまがお慈悲)
坂井町御油田・演仙寺前住職 多田淳政
過去と未来(一)
私たちは現在をしっかりと生きてゆくことは、大変大切なことであります。
しかしそのことは、過去や未来を忘れてよいということではないと思います。もし現在の幸せや楽しみばかりに気を取られて、過去の自分を顧みず、未来の希望も計画も思わないなら、理在の生活は味気ないものになってしまいます。
よくよく考えてみると、現在の私は過去の私の積み重ねであり、現在の私は未来への希望があって初めて成り立つことが出来るのです。
もし現在幸せだったら、過去に大きなお恵みを頂いたおかげと喜ばねばならないし、もし現在不幸せをかこつならば、過去の自分の生き方がまずかったなと、反省すべきでありましょう。
親鸞聖人も、「卯の毛羊の毛の先にいるちりばかりも、造る罪の宿業にあらずということなし」とおおせられています。現在の罪深い自分の姿に眺めるにつけても、過去の自分の姿に目が開かれて、浅ましい自分であったと頭の下がるとき、初めて現在の生き方が確かになるのであり、それはこの私に目を開かせて下さった仏さまのお慈悲に導かれた確かな生き方を頂きたいものであります。