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こころの法話集316

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法話316

鮒江市川去町・光明寺住職 山崎良恵

感じる「心」を大切に

皆さんよくご存知の「般若心経」には「この世は空である。我々の目の前で展開している種々の現象は、すべて夢のようなものであって、あれを手に入れたい、これを守りたい、と固守し、執着してはならない」と説かれています。
伝教大師は「月命保ち難く、露体消え易(やす)し」といわれ、この世の諸行無常を我々に言い聞かせられております。すなわち「生者必滅、会者定離」この世で出合ったものは必ず別れ、栄枯盛衰一度栄えたものは必ず衰退していく運命にあります。
しかし、いくら栄えたものが衰退するのはこの世の摂理だとはいえ、我々はただ黙ってなすがままにするわけにはまいりません。そこには大変な苦労と努力精進が必要であることは、いまさら言うまでもありません。
人間が「楽しい、うれしい、幸福だ」と思うのは心で感じ思うはずです。物の量の大小だけで決まるものでもありませんし、ましてや他人が決めるものでもありません。だから大人も子供も、億万長者も貧乏人もそれぞれ自分がともに喜び、悲しむことができるのです。
この「喜び、悲しみ」を感じる心を粗末にすると、どんなに豊かなものを手に入れても、周りからどんなにうらやまれても、決して「幸福」になることはできません。
経文に「眼耳鼻舌身意」という文字がありますが、人間は眼で見て、耳で聞いて、鼻でかいで、舌で味わって、体で触れて、頭で判断して「美しい」「汚い」「欲しい」「食べたい」「聞きたい」「苦しい」「悲しい」と判断し、欲望をかき立て、意欲を燃やしていくのです。

自分を見つめ合掌を

お話316

科学が発達し、物が豊かになり、いつでも好きな物が自由に手に入り、食べられるようになると「眼耳鼻舌身意」はぜいたくになり、美しいものを見たり聞いたりすることや、おいしい物を食べるのが当り前になって、本来、大喜びし、幸福感に浸り、感謝の念で一杯にならねばならぬ心が鈍感になって、喜ぶことを忘れ、少しでも意にそまぬものに出合うと、怒りや不満でいっぱいになってしまうのです。
社会が豊かになったおかげで、大部分の人が高等教育を受け、昔から比較すればずっと賢人、貴婦人となりました。教育の高等化が進むにつれ、社会は一段と高度化し、科学や医学は目を見はる進歩をくり返し、ともすれば自分たち(人間)の力を何でもできると過大評価しがちであります。
ところが、仏の世界から見れば、人間の力は微々たるものであって、己の力を慢心すればするほど、壁につき当たり、疑心暗鬼となって悩み、苦しみ、得体の知れぬ恐怖感に取り付かれるものです。そして、弱い人は死を選んだり、心を閉じてしまうのです。
そうなってはおしまいです。そういう時にこそ、手を合わせ、心静かに自分をみつめて下さい。
一、合掌は喜び、感謝の表現です(仏の、自然の多くの人の恵みで、今日自分が生かさせていただけることを感謝するのです)。
二、合掌は反省です(ともすれば己一人の力で生きているかのごとく振るまう慢心を反省する)。
三、合掌は瞑(めい)想です(波立ち荒れる心を不思議に沈めてくれます。ともすれば反抗的になる心を素直にしてくれます)。
そして、一心に祈りましょう。

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