こころの法話集005
お話005
もっと大きな世界へ
福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾
「とらわれ」の側面
「雑譬喩経」に出ている有名な話に、釈尊が子供を亡くした母親を諭すことが出ています。「子供を生き返らせたかったならば、まだ一度も死者を出したことのない家から火をもらっておいで。そうしたらなくなった子供を生き返らせてあげましょう」と釈尊は言われ、母親は一生懸命その家を探しながらいつか、そんな家があるはずがなく、人は必ず死ぬものであるということに気付き、自分の愚かさに気付いて、迷いから覚めたというよく知られたお話です。
「無常」が「とらわれ」を離れるために説かれているのです。「とらわれ」の世界は、対立の世界ということが出来ましょう。それに対して、とらわれない世界は、対立を超える世界です。「対立を超える」ということは、いい加減な所で妥協しておくということでは決してなりません。お互いにもっと大きな世界に出ようということなのです。自らの欲望や、願いにこだわっているから、自己の見解に執し、とらわれることになるのでしょう。