こころの法話集006
お話006
心に潜む欲望の渦
福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾
「とらわれ」の分析
仏教では、「とらわれ」ということを一番嫌っていると申せましょう。大体「とらわれ」そのものは、私たちの煩悩から来ているものなのです。「とらわれ」は、迷いの姿といえましょう。仏教では、これを十二因縁という形で説明しています。
まず、根本煩悩と言われる「無明」という暗い、無知の領域が自分の心の中に潜んでいるのです。そこから、いろいろな欲望の数々が生まれて来るわけです。その六番目に「触(そく)」という、事物に触れたいという欲望を起こします。そして、物に触れることによって、今度は「受」という感受作用が働きます。
すなわち、苦しいとか、楽しいとか、快いとか、不快だとかいう感覚が生まれるわけです。すると、次に「愛」という苦を避け、快楽を求めようとする心が起こって来るわけです。そして、今度はさらに「取」という執着の段階に入ります。
こうなると、もう完全な「とらわれ」の姿です。欲しいものは、あくまでむさぼり、盗んでも取ろうとします。憎いものからは、あくまで嫌い離れて、怒りを生じ、ついには殺すに至る、となるのです。恐ろしいことです。