こころの法話集008
お話008
ものをありのままに
福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾
答えのない尊さ
経典の上からうかがいますと、釈尊は、弟子たちの質問に対して答えられない事がよくあったようです。それは、ありのままを尊ぶということから生じています。訳の分からない領域の事は、一切語らない。そういう領域のことについては、「無記」とか「置答」とか言って釈尊は返事をなさらないわけです。
なぜかと言えば、それらの事は、「義理に合致せず」「法に合致せず」「清浄行の基盤とならず」「人を涅槃(ねはん)に導かない」からであると記されています。仏教は、実利主義であるといってよいほど、人生に利益をもたらすことでなければ説かないのです。
親鸞聖人も「自然法爾(に)」という言葉を使っでおられますが、これも「ありのまま」ということで、自らの無益な思いを加えない世界を指すのです。とらわれを離れて、ありのままにものを見ることが、いかに大きな世界を人々に与えるかを知るべきでしょう。