こころの法話集010
お話010
「静寂」こそ完成の域
福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾
黙の世界
一時「ネハンで待つ」という言葉がはやりましたが、涅槃(ねはん)という語は「涅槃寂静」とも訳されます。例えば、燃え立った炎も、吹き消されれば、そこにはおのずから「寂」の世界が現れていると言えましょう。また、水を少ししか入れない瓶を振れば、ポチャポチャという音がしますが、満々と水をたたえた瓶は振り回しても、物音がありません。完成に近づいた人ほど静寂の世界に住むということが出来ましょう。
騒がしい場所と静かな場所と、どちらが仏教的かと言うと、もちろん静かな場所です。古来、お寺が静寂の地を求めて建られているのは、故のないことではありません。このごろは騒音防止条例があるほど、騒々しい世の中です。人が集まれば、すぐに議論がわき起こります。自己主張の世の中で、言わなければ損だという風潮になってきました。もうこの辺で、仏教の持つ「黙」の尊さが分かってもらうようにならなければならないでしょう。