こころの法話集014
お話014
自覚とは「仏性」発見
福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾
私の中にも宝石が
「酔生夢死」という言葉があります。お酒に酔っているように生き、夢の中に死んで行く、ということでしょうか。自分を知らず、自分がどこへ行くかも分からず、何となく生き、何となく死んで行く、ということでしょう。
私たちは自分自身を探し、そして自分自身を発見すべきでしょう。その上で発見した、自分自身の動き出す世界、それが自覚の世界でありましょう。自分の中に何を発見するかといえば、自分の中に埋もれている宝を発見することです。その宝を「仏性」と名付けることが出来ましょう。
「涅槃経」というお経の中に、こんな話が出ています。眉間(みけん)に金剛珠を持った大力無双の力士がいたそうです。ある時相撲の相手と鉢合わせをした途端、その金剛珠を失ってしまったのです。眉間が痛み出したので、医者に診てもらい、珠がなくなったと申しますと、医者は「心配することはない。珠は眉間にめりこんでいるよ。お前は怒りの心のため、珠を見失っただけだよ」と言いました。
こんな話ですが、この金剛珠は私たちの「仏性」を表しているのです。だれしも「仏性」をもっているのですが、怒りや愚痴やらの煩悩で覆われているものです。「仏性」を発見することが自覚といえましょう。