こころの法話集016
お話016
親死んで知る親の恩
福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾
「しまった」の心
親が亡くなりますと、「しまった」と思う。そういう心が、どうでございましょうか。あるのではないでしょうか。何を「しまった」か、と申しますと言うと、もっと生きていてくれたら、何とかして上げられたのではなかろうか。そう思うからであります。
正直に考えますと、これは何年生きていてもらいましても、これは何もして上げられない。そういう事ではないか、と思うのであります。親ごさんが、自分に対して注いだと思われる、そういう思いと、働きと言うものを考えて見ますと、何かこう、取り返しのつかないような、大きな借りがあるように思われて来るのであります。
そんな時は、ただ「長い間、ご苦労さんでした。ありがとうございました」と、このようにしか、言いようがないのではないでしょうか。ただ無条件に頭が下がるのであります。これを恩と言うのではないか、と思われるのであります。
ですから、仏の恩、親の恩、と言うのでありましょう。昔の人は、恩を知ることが人間、恩も知らないのが動物、と言いました。しかし、よくよく考えて見ますというと、愚かな、情けない私たちは、親に死なれて初めて人間らしい心になるのではないでしょうか。人間の心とは、親が最後に残してくれた大きな遺産だと、このようにさえ思えるのであります。