こころの法話集017
お話017
生かされている自分
福井市田原二丁目 細江乗爾
お多福の教え
人間の生き方に三通り、三つのものがあると、ある本で読んだことがこざいます。一つには、ただ生きる。次は、よりよく生きる。また三つ目には、真実あるいは誠というものに生きる-この三つだそうであります。
ただ生きる、というのは、これは動物的な、動物と同じような生き方。ご飯を食べて、休(寝)んで、ということでありましょうか。ただ生きる、というこの生活。ある意味では、つらくて、寂しいものでありましょう。
「反故集」という書物の中に、このような忠告の言葉が出ております。本当の知恵、本当の目覚めのない方。この人たちの心は、四つのさかさまな考え方があるのだ、と書いてございます。
一つには、自分はいつもこのままでおれる、と思うこと。二つには、自分の本当の苦しみの本(もと)を知らない。そして、今だけを楽しむ。三つには、この身は、仮の物であって、本当の物ではないということを知らない。また四つには、自分はきわめて不浄なもの、汚いものであるにもかかわらず、自分はものすごく立派なものだ、と思う。この四つを述べております。このような人たちは、だめだということを言っております。
命が、生かされて、生きているということを、反省してみると、なかなかうなずけないものであります。が、一日のうち何時間でも、何分間でも、ほっと、こんなわが身をふり返ってみてもらいたいものでございます。