こころの法話集019
お話019
自分の内側に弱さが
福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾
「力なき私を!」
こんにちは。いかがお暮らしでございますか。宗教の世界って、どんな世界だろうか、と味わってみますと、まず第一に、それは自分自身を内側からながめていく世界ということが出来ましょう。
しかし、これがなかなか難しい事で、口で申すほど簡単ではないようです。私たちは、毎日生活の中で、しばしば自分自身の内側を見詰める、あるいは見詰めさせられる、ということはあるのですけれども、どうも長続きしないようです。すぐ忘れ去ってしまうようです。
外側の世界はめまぐるしく変わっていきますから、その方に気を取られてしまい、ほんの二、三分で「まあ、いいや。しようがない」と逃げてしまう。どうでしょう、そんなこと、ございませんか。「ちょつと、私、あの人に言いすぎたかな、私としたことが」。ちょっとは悩み、考えるのですが、しばらくでおしまい。

親鸞聖人お歌と言われているものの中に、「この里に親の死にたる子はなきか御法の風になびく草なし」というのがありますが、親の死に目に遭っても、人の世のはかなさを感じるのは、しばらくだけ。また、もとのもくあみということでしょう。「力なき私」。それが私の姿です。ではまたお会いしましょう。