こころの法話集020
お話020
開かれる恵みの世界
福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾
横見て、前見て、私見る
宗教の世界では、いつも自分を見詰めていかなければなりません。内側から発して外を見、外を見ることによって自分自身を振り返り、見させて頂くのであります。
これは、外の言い方でとらえてみますと「恵みを感ずる」とも言えましょう。「恵みを感ずる」とは、自己を大きく包んで、そして生かしめ給うものを感ずることでしょう。
毎日の生活の中でも、わずかな言葉の端に、はっとするような温かさを味わうことがあります。内には汚れた自己の心を見、外には自己を包んで恵み給う力を、いつも感じつつ生かさせて頂くのです。
なにか自己を見詰めるというと頼りない消極的な感じがします。しかしその裏には、外の世界への感謝として強い恵みの世界が開かれて行くのでありましょう。同じ自己を見詰めながら、宗教の世界に出会わなかった人は、心は内にこもり、犯罪や自殺という悲劇が生まれてくるのではないでしょうか。
これは、自己を見詰めるといいながら、実は外を見ているといえましょう。それは、他人と自分を比べているのです。そして競争心を燃やしたり、絶望したりします。宗教の世界とは大きな違いがあります。宗教の世界は、大いなる光に照らされて、はじめて人は自己に出会うのでありましょう。