こころの法話集024
お話024
「慈」と「悲」の心一つ
福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾
「そっとかわいい」
「慈悲」という言葉がございます。お慈悲を受けるとか、慈悲深い、とか申しますが、これは、仏教だけの特別のものでございまして「愛」というものとは、違っているのであります。
慈悲の「慈」というのは、「かわいい」と思う心であります。また慈悲の「悲」というのは「これはかわいそうだなあ」と思う、そういう心であります。
仏と衆生、として親と子供。これは、一つの考え方であります。衆生の苦悩、悩みというものは、そのまま仏さまの悩みになっているのであります。
子供の苦しみは、子供の不安、将来への不安は、そのまま親の苦しみ、不安となっているのであります。そして、ただじっと見ているわけにはいきません。これが仏教で言うところの「縁起」ということであります。縁起というのは、お互いが寄り合い、そして助け
合って成り立っているというのであります。分かったから働くと言うのではありません。それが身についている。そのことを「智慧(ちえ)」と仏教では申しております。
「かわいい」から、だから「かわいそうだ」という、そう思う心が働くのであります。「かわいそうだ」という心の裏には、また今度は「かわいいな」という心があるのであります。この二つの心は、別々ではありません。