こころの法話集025
お話025
慈悲は受け取るだけ
福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾
「そっとかわいそう」
仏さまの事を大悲の親さまという言葉を使います。大慈の親さまとは申しません。仏さまが衆生を見られ、そしてまた、親が子供を見まして、現実は愚かな故に、傷ついていく、そういう姿が親さまに、また仏さまに見えました時には、「かわいい」と思うよりも、「かわいそう」と思う心が強くて、そして一生懸命になられるのでありましょう。こういう意味で、大悲の親さまと言うのであります。

「慈」と言うのは、「かわいい」と思う心であり、「悲」と言うのは、「かわいそうだ」と思う心だ、と申します。仏さまが衆生を考えて下さる。そういう願いも、これは悲願、悲しい願い、悲願と申します。あるいは、また、大悲、大いなる悲しみ、大悲の願船、大悲の願いのすべてと言う、そういう風に、表明されるのではないかと思われます。今のこの悩みは、もちろんの事、次々来るところの将来への悩み、そういうものが、あるという事が分かりますれば、もうたまらなくなって、働いて下さる姿、これを慈悲と言われております。ですから、慈悲の働きは、仏さまから衆生へ、また親から子へと、一方的に働いて行くものであります。私たちはただ、受け取るだけであります。