こころの法話集096
お話096
明日では実にならぬ
福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾
今、ごちそうを!
おいしい物を頂くということは、楽しいことです。ところが、どんなおいしいごちそうを頂いても、「ああ、おいしい」と分かるのは、ごちそうを頂いている「今」だけなのです。やがて、おいしい湯豆腐も、のど元を通って胃袋の中で消化されますと、それが私の身体の「命」を支える血となり、肉となってくれるのであります。
それは自然の動きの中に、ちゃんと仕組まれている不思議な力の動きによるものでしょう。そこで一番大事なことは、今、目の前に出されている、このごちそうを頂くか、どうかということです。今を大事にするということは、今ごちそうを頂くことです。明日、頂こうでは、実にならないわけです。当てにならないことを当てにするぐらい愚かなことはないでしょう。「今」という、この時が勝負です。真剣勝負は今ということになります。

このように考えますと、「未来」と申しましても、「まだ来ていない」どころではなくて、「もうとっくに来ている」と言う外はないのではないでしょうか。言い換えますと、「私たち人間は本当のものから目をそらして、わき道の方を走りながら、いらざることばかりしがちな毎日。そんな見方が出来るような気もいたします。
本当のものから目をそらせる私たちに「本当のことを知っておくれよ」と私のもとに来てくだされた方、その方を「如来」と申し上げるのです。