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こころの法話集099

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お話099

「法の水」受け入れる

福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾

閉じている蛇口

「観世音菩薩」といわれる菩薩さまがおられます。また、「観音さん」とも親しく呼ばれています。この「観世音」といわれるように、世の音を観ぜられる菩薩さまということでしょう。仏教ではこの「音」ということを大切にしています。
例えば「聞く」という字にいたしましても、「耳」に「門」を囲って、一生懸命「きく」とか、また字の上で面白いことは、例えば「闇」(やみ)という字であります。「光」を「門」で囲うのならば、いかにも「やみ」という感じがするのですが、「音」を「門」で囲っている。どうでしょうか。
私たちの中には何か音というものが大きな意味をもって迫ってくるような気がいたします。「聞く」というと、何か聞かなければいけないと感じ、力が、努力がいるようにも感ぜられます。なるほど、世の中のいろいろな事を聞いて、知らなければならないということになればそれには力もいることでありましょう。ところが、仏法というものは、その聞くものからが違うのです。「観世音菩薩」というお名前でも感ぜられますように、「仏の思い」を聞かされて頂くのが仏法を聞くということなのです。ですから、もっと分かりやすくいえば、「受け入れる」ともいえるかもしれません。

お話099

例えば、水道の蛇口に口をつけて思う存分水を飲むことが受け入れる姿でしょう。水はいつでも蛇口までは来ているわけです。蛇口を締めていては、いっぱいそこまで来ている水も飲むことは出来ません。仏法を聞くということは蛇口を開けて、法の水を飲むこと、といえましょう。

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