こころの法話集114
お話114
現実照らす如来の光
本願寺福井別院輪番 土基謙教
新春所感
ともどもに、阿弥陀如来のお慈悲の光のなかで、新しい年を迎えさせていただきましたことを、まずおよろこび申し上げます。
この欄を家族そろって笑顔のなかで手にとって下さった方、また病の床にありながら、お念仏とともに見て下さった方、あるいは親しい人と別れていかねばならなかった悲しみをこらえて読んで下さっているあなた。悲喜こもごもの新しい年が始まりました。無常の人生と聞かせていただきながら、それでもなお「どうぞ今年こそは良い年でありますように」と願わざるをえないほど、私たちの世界には数多くの悲しいことが満ち満ちています。
こうした人生の現実の諸問題を解決することこそ、「弥陀の本願」によるより他にないのであります。お念仏のみ教えが、ともすれば「死後の浄土の世界」にのみかかわる問題であり、現実の私の生き方には「かかわらない」ことであると考えがちなのではないでしょうか。
維摩経に「高原の陸地は蓮華を生かせず、卑湿の淤泥は乃ち蓮華を生ず」とお示し下さっています。悲喜こもごもの人生の無明をこそ、照破して下さる如来の慈光こそ、私の人生の真っただ中にその苦悩を解決して下さるのであります。
このように味わうとき、「今年もどうか、如来さまとともに歩ませていただく年でありますように」との願いこそ、大切なものであることが知られましょう。
限りなく背いていく私を、受けとめて下さる如来のまことこそ、私の人生を真に人生たらしめて下さるのでありましょう。