こころの法話集116
お話116
縁に恵まれる大切さ
芦原町轟木・浄光寺若院 高木正之
生かされる私
私の家に柿(かき)の木があります。先日、その柿を取ろうと思い、柿の木を見たら、とても手の届く高さでないので、屋根に登っておそるおそる取ろうとしましたが、手が届きません。仕方がないので、長い竹ざおを持ってきて、柿の実をつっついたところが、下に落ちて割れてしまいました。
いろいろと工夫をして、竹ざおの先を割ってそこに柿の枝を挟んで取ると、枝が竹に引っかかって、うまく取れました。早速柿をいただきました。取りたてというせいか、大変おいしくいただきました。考えてみますと、柿一つを食べようと思っても、まず柿の木がなくてはなりません。でも柿の木は一日や二日では育ちません。「桃栗三年、柿八年」と言うように、実がなるまでに八年もかかるのです。その実を取るのに、また苦労がいります。

そのように柿を食べるのにも、いろいろな縁が重なり合って、やっとおいしい柿を食べられます。しかし、ともすれば、私一人でこの娑婆(しゃば)を生き、なんでも一人でできると思ってしまう私です。生きるのではなく、生かされる私ということをもう一度、見つめたいものです。