こころの法話集123
お話123
迷い超えた悟りの境
鯖江市戸口町・乗誓寺住職 鎌数静雄
浄土
「浄土」とは「極楽」とも申します。よく世間の人は、浄土はこの世にあるなどと言いますが、それは間違いです。この世は迷いの世界です。浄土は迷いを離れた世界、迷いを超えた世界ですから、阿弥陀如来のさとりの世界です。
そのさとりの世界とは、真実を極めた世界ですから、この世の姿とは次元が違います。浄土とは、永遠に輝ぐ世界です。また、自由に生きる世界です。平等が実現する世界と申せましょう。
この世は残念ながら、迷いの世界ですから、すべてのものが移り変わってゆきます。また、人間は煩悩心のゆえに、いつも有無にとらわれて苦悩しているのです。また、人間関係の上で、ややもすると対立が生じ、憎しみの火が燃えるのであります。

こうした真実に背いた生き方しか出来ない私たちを真実の世界に至らしめるのが阿弥陀如来の救いですから、救われた者は、この世の一生が終わりますと、浄土に生まれ、命と光きわみなき仏となり、我執煩悩が尽き果てて迷える人々を救う慈悲行を行する身となるのであります。また、ともどもに美しい仏身が恵まれ、ともに拝み合い、ともに賛嘆し、ともに法を語り合うという美しい世界こそ、浄土であります。