こころの法話集139
お話139
生き方を仏に問おう
福井市上莇生田町・安楽寺住職 佐々木俊雄
信は力
江戸幕府が倒れ、勝ち誇った官軍が、江戸を指して攻め下っていたとき、日本に来ていたイギリス公使のパークスは、
「将軍はすでに江戸城を出て、寛永寺に謹慎している。われわれの国では、すでに恭順の気持ちを表している者に、なおも鉄槌(つい)をくだすということは、絶対にしない」
と言って、攻撃をやめさせようとしたといいます。
私は、多分、キリスト教の信仰に根ざすとみられる、このパークスの言葉に、いつも強い共感の心を覚えるのであります。謹慎している将軍は、すでに昔日の権力はなく、勝者の前にさらされている、力ない敗者にすぎません。しかし、恭順の意を表している現在、二の太刀、三の太刀を振り下ろすことを許さないのは、宗教的な心情がそうさせるのではないでしょうか。宗教の世界では、俗世間の権力がそのまま、まかり通るということは、あり得ないのであります。
親鸞聖人は、「ただ、よき人の仰せを被りて信ずるほかに別の子細なきなり」(歎異抄)と申されて、ひたすら仏に信順されました。日常の生活は厳しいざんげと、この上ない感謝に満ちておられたのでありますが、仏の前にぬかづいて生きるその姿は、外見はまことにひ弱であります。
しかし、それはいかなる逆境にあおうとも、常に自分の生き方を仏に問い、常に指針を失われなかったのであります。「信は力なり」と申しますが、それは宗教の力強さを表す言葉ではないでしょうか。