こころの法話集148
お話148
「自分本位」に反省を
福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾
法句経からの戒め
「困った時はお互いさま」という言葉がございます。しかし、本当にお互いさまという気持ちがあるでしょうか。自分が苦境に立った時、他人の助けを期待しますが、反対に他人が苦しんでいる時、どうでしょう。果たして気になるでしょうか。他人のことはあまり気にしないのではないでしょうか。
そこには、まさしく「自分本位」の姿を見ることが出来るような気がいたします。しかし、よく考えて見ますと、これは私たちの赤裸々な姿と言うことが出来ましょう。よく言われる言葉に「一生懸命働いても、死んだらなんにもならない」とか、「どうせ人生六十年、同じ六十年生きるなら、楽をして生きた方が得だ」というヤケッパチな生き方も、何か笑えない気持ちがいたします。
法句経にこんな言葉が出ています。「おろかなものは、いたずらに、名誉と利益を追求している。そして、ねたみ心を起こし、常に他人から何かしてもらおうと考えている」。どうでしょうか。私たちの毎日は、利益と名誉の追求です。他人が調子よくいくとねたみ、自分から進んで他人のためになるようにとは、思っていません。そのような自分であるということを忘れています。

また忘れたというよりも、気付いてさえいないということが出来ましょう。そして、そのうえ、偉そうなことばかりいっているのです。それが私自身です。仏典では、そこのところをはっきりと諭されているのです。