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こころの法話集213

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お話213

一言の念仏でも貴重に

小浜市遠敷・西光寺 吉田俊逸

如来の救いは平等一味

私たちの世界にはあらゆることに区別や差別があります。考えて下さい。わが子を区別し差別して生活が出来るでしょうか。阿弥陀如来の本願の前には聖者もなければ凡夫もないのです。はっきりと十万衆生といわれているごとく善人もなければ悪人もないのです。
すべて平等一味の衆生であることを明らかにして本願を立てられたのです。この大切なことがわからないと、念仏の人生は歩めません。一度の念仏も如来のもよおしによって称(とな)えさせられたのです。念仏はすべて如来より頂いた念仏なのです。
そしてこの念仏は私たちが幸せに生きるための本願力なのです。その中に暮らしている私であることを考えて下さい。

お話213

経文の中に「財産あれば財産を憂ひ、財産がなければ無い事を憂いる」と示しています。本当にその通りです。私の孫が歌っています。「お母さん、お母さんとはいいにおい、洗濯しているにおいでしょう。シャボン玉のにおいでしょう」。小さい子供の歌なれど、私には、どんな偉い人の話よりありがたいのです。臭い私をお念仏によって包んでいただき、その上に日夜起こる罪悪の心を休むことなく洗濯していて下さるのです。どうぞ一言の念仏も粗末にはしないで下さい。

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