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こころの法話集214

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お話214

呼ばずとも救いの手

小浜市遠敷・西光寺 吉田俊逸

救急車と如来の大悲

私は十年ほど前に心臓発作で救急車のお世話になりました。家族にとっては到着するまでの長いこと心配の連続です。私にしてはやはり苦しみとともになぜ早く来てくれないかと、不安とともに短い時間が長く感じられます。家にサイレンと同時に到着したときのうれしさは言葉には表せません。ありがたいものです。

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それにしても、よく聞く話に救急車をタクシー代わりに使う人もあるとか、考えさせられます。救急という言葉は如来様のお慈悲から用いられたそうです。もちろん救急と書いて仏教語ではクキュウといいます。救急の大悲とは如来のお救いを表現しているのです。救急車と救急の異なる点は救急車は私の方からお願いせねば来てくれません。如来の大悲の救急は、私が呼ばなくとも、またお願いしなくとも、恐ろしい病気に気づかない煩悩具足の私を、罪悪深重の難病の私を見抜いて、一日でも幸せに暮らしてくれるようにサイレンを鳴らし通しのお呼び声です。
「汝一心正念にして来たれ、われ汝を救わん」と、呼んだおぼえのない私を常に私を摂取して下さっているのです。本当にもったいないことです。

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