こころの法話集217
お話217
逃れられぬ生老病死
小浜市遠敷・西光寺 吉田俊逸
苦悩なき人生は偽物
私たちが小さい時から聞かされている言葉に「上は大聖世尊より下は悪逆の提婆(だいば)にいたるまで、のがれがたきは無常なり」ということです。しかし私たちの生活はどうでしょうか。日夜、生老病死の四苦の中をさまよっているのです。生活の苦、病の苦、死なねばならない苦です。
この苦悩を自己の問題として受けとめている人の人生は、充実した生活をすることができるのです。苦悩の原因を家族や他の人たちからと考えるところに大きなあやまりがあるのです。いかに立派な邸宅に住み、裕福な生活をしていても、その人の人生は偽物です。偽物は必ずいつかは、はげてきます。

それは老病死という重大問題が待ち受けているからです。いかに医学が進歩し、財産がどれほどあっても、生物である人間である以上、老病死の苦悩からは逃れることも出来ないのです。この大問題から逃げようとするところに間違った教えに進むのです。これが偽物の人生なのです。
法然上人は「人間に生まるること大きなる喜びなり、身は賎(いや)しくとも畜生に劣らんや、家は貧しくとも餓鬼に勝るべし、心におもうことかなはずとも地獄の苦に比ぶべからず-このゆえに人間は生まれたることを喜ぶべし」と申されています。もったいないことです。