こころの法話集219
お話219
生きることは苦しみ
芦原町轟木・浄光寺 高木正之
深いものに気づく
先日、イモ掘りに行きました。その日はお天気もよく、みんな楽しそうにイモを掘っていました。大きなイモや小さなイモが出てくるたびに「わーすごい」、「このイモ大きいね」、「このイモ小さくて、かわいい」など和気あいあいで和やかな雰囲気でした。収穫の方も上々で、みんなたくさん持って帰りました。
後日、その畑の主人にお礼に行った時の話ですが、イモというのは横の方にも深くツルが伸びて、そこにもイモがつくのだそうです。だからまだまだ深く掘ったら、イモは出てくるでしょう、と言っていました。私自身、もうこれでイモはないと思っていましたが、やはりうわべだけではわからないものです。
私たちは日常このように、うわべだけを見て「これは、こうだ」と決めつけてしまうところがあるのではないでしょうか。仏教と聞くと、中には「死んでからのことだから、今は必要ない」と思われている人がいるようです。しかし、仏教を説かれたお釈迦さまは決して死者に対して、法を説かれたのではありません。この娑婆(しゃば)世界に生きる人たちに「生きることは苦しみである」と説かれたのです。

この苦しみをどう乗り越えるか。そして、その奥底には、並々ならぬ因縁によって、この私が生まれ、そしておかげさまで生かされているのだと気づかされる世界があるのです。うわべだけのことに取らわれず、もっと奥深いことに気づいていきたいものです。