こころの法話集223
お話223
真に支えになる道を
福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾
まことの杖
人間というものは情けないことですが、前へ前へと進み、がんばっている時や、うまくいっている時は、なかなか自らを反省するということはできないようです。なにかうまくいかないことにぶち当たると、「あれっ」ということで、ちょっと考え、それがもっと強くなると、深々と反省するということになるようです。
順境の時、逆境の時、それぞれ人間の心の動きが変わる時です。順境というのは、自分の欲望が思うようになってゆくのですから、そうした時には、「よしよし、おれは間違っていない。おれは値打ちがあるのだ」となって、ますますうぬぼれが盛んとなり、なかなか他人のいうことに耳を傾けようとはしません。
その点、逆境にあえば、自分が打ちくだかれ、うぬぼれの鼻をくじかれた時ですから真に頼れるものを求める心になるでしょう。
蓮如上人は「人はあがりあがりて、落ちばを知らぬなり」と言われ、また「行さき向ばかりみて、足もとをみねば、ふみかぶるべきなり」とも言っておられます。人間のうぬぼれは、果てしないものですから、どこまで上っていくかもわかりません。しかし、人は上ることばかりでなく、思わぬことでつまずくものですから、常日ごろそれをわきまえ、自分の本当の支えになる変わらぬ道を求めるべきでしょう。
仏法を聞くということは「転ばぬ先の杖(つえ)」と言えます。まことの杖は、如来より賜りたる杖です。